社交ダンスの歴史を知れば、ついつい踊りたくなるでしょう!

中世後期ヨーロッパの宮廷舞踊を起源とする「社交ダンス」は、1883年に外国人の接待所として知られていた「鹿鳴館」で行なわれたパーティが、日本での始まりと言われています。

文明開化による急速な近代化を推し進める政府の社交手段としての印象が強かった、当時の社交ダンスは、政府の高官や在日外交官などの一握りの上流階級のための娯楽として普及し始めましたが、当時の一般市民にまでは浸透することはなく、無縁なものとして扱われていました。 鹿鳴館から約30年が経過した大正7年には、横浜市鶴見区に日本で初となる「花月園」という名のダンスホールが誕生します。

このころから一般市民の間にもようやく社交ダンスが広がり始めますが、実際に庶民がダンスを楽しむようになるのは、さらに30年近くが経過した第二次世界大戦後のことになります。戦後、主に進駐軍のために数多くのダンスホールが建設されることになり、男女の新しい出会いの場としてダンスパーティが流行し始めます。

このダンスブームは一般市民から若い大学生たちにも広がり、社交ダンスの「早慶戦」まで行なわれるほどのブームが訪れます。当時、ダンスを踊る人たちは「不良」や「遊び人」などというレッテルが貼られ、良俗を乱すいかがわしい遊びであるというイメージが濃厚でした。学生服姿で踊る当時の大学生たちは、この世間でいわれる不純な遊びを、熱いスポーツ競技であるダンスとして認知させることに多大な貢献を果たしました。

当時大学生だったはずの現在のおじいさんやおばあさん世代は、ジルバやルンバ、ブルースなどを嗜み、その軽快なリズムで踊っていた方も大勢いらっしゃるはずです。まだまだ娯楽が少なかった当時の社交ダンスは、庶民にとって身近なスポーツであり、粋な大人たちのお洒落な遊びとして流行していきました。

その後、70年代から80年代にかけてはダンス氷河期とも言われ、社交ダンスも例外なく衰退の一途をたどっていきます。90年代に公開された映画『Shall weダンス?』の大ヒットにより社交ダンスが再度脚光を浴びるまでは、「高齢者たちの数少ない娯楽」という印象が強かった社交ダンスですが、その後も人気TV番組であるウリナリ芸能人社交ダンス部などのバラエティ番組などで取り上げられ、少しずつ競技ダンスが盛り上がっていきます。

現在では、日本の社交ダンス人口は世界一といわれており、社交ダンスは文化や教養、スポーツの一種として認知され定着しています。メインとなるシニアの厚い層だけではなく、スポーツや音楽などと共に楽しむダンスは、ジュニア層や若年層にも広がり始めているので、みなさんも日々の生活に疲れた際には、ぜひ踊ってみてはいかがでしょうか!?