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「ハート」

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ハートは悩まない。悩むのは偽のハートである

「ハート」 伯壬旭師「神文学ABC」より

ハートとは一口に言えば目に見える世界の背後にある目に見えない世界を感じ取る器官です。人が、雲を見たり、山のたたずまいを見たり、樹木の葉のそよぎを見ながら深い想いの中にひたる時、ハートは自然という目に見える世界の背後にある深遠な何かを感じ取っています。

人を愛するのも同じです。本当に人を愛するのはその相手の中に奥深いものを感じた時だけです。相手自身が奥深いものを持っており、また自分と相手の関係にも何か奥深いものを感じた時初めて人はその人を愛します。少なくともハートが真に機能している人は奥深いものを感じない相手を特別好きになることはありません。

特別の場合を除いてはハートは人間と感応しません。ハートは相互感応であり、一方的な反応は絶対にしません。こっちのことを好きに思ってくれない相手を一方的に思うことなどハートにはありえないのです。人の世話など心が感応しないでできるわけがありません。そういう場合は義理でやっているのか、金のためにやっているのか、自分が温かい人間であると思いたいために自己満足、自己憐憫のためにやっているのかです。

先日アメリカの東部に棲む特殊な人々──アーミッシュと呼ばれています──を突然凶徒が襲いかかり子供5人を射殺し自分も自殺した事件がCNNで報じられていました。続報によると、謝罪に訪れた犯人の妻をアーミッシュの人々は温かくもてなしたことが賛辞と共に報道されていました、“絶対的な愛”という仰々しい見出しを付けて。

アーミッシュというのは東部のペンシルバニア州その他の丘陵地帯に棲む人々で、文明を一切拒否し、電気もない生活をしている人々です。現代における“キリストの愛”の実践者たちなのでしょう。自分の子供を殺されながら犯人の妻を温かくもてなした彼等のハートは自己憐憫で真っ黒です。彼等のハートに深遠なものは全く感じません。偽善者です。

ハートは悩みを全く持ちません。なぜならハート感応はさっき述べたように相互感応だからであり、一方的な反応は全くない、ありえないからです。またどんな苦しい運命の時もこの苛酷な運命の背後に、反世界にある何ものかの意志を感じますから、与えられた試練と思って耐え抜きます。この場合もハートは全く打ちひしがれてはいません。ハートとは反世界──宗教で“天”と表しているもの──に通ずる穴なのです。

我々の棲む世界が“生”の世界であると思いこんでいる人にとって反世界は“死”の世界でもあります。したがってハートの人は一面において冷然としてます。また冷厳でもあります。誰に対してもの無限界の温かいハートなど持っていません。キリスト教会が掲げて来た“愛”など偽善でしかありません。
私はかねてより疑問を持っていました。キリストはなぜ愛を強調したのか、と。

キリストは偽善者をつくるために愛を強調したのです。キリストの教えをそのまま実践したら人間は偽善者にしかなりません。キリストの心はこうです――我が教えをとことん実践するがよい。そして汝が偽善者であることを覚れ。

偽善者であることを覚るか覚らないか、それがテーマです。殆どの者は覚らぬまま終ります。キリストは“愛”という言葉一つで反世界に至る門を閉じました。この門は禅でいう「無門関」です。門がある関所なら門を潜れば向こうに抜けられますが門の無い関所はどうやったら潜れるのでしょうか。さあ、御自分で考えて下さい。

悩むハートは偽のハートです。脳のハートです。脳生理学者は人間の心とは脳の作用だ、と規定していますが、殆どの人間にとってこれは正解です。脳は死ねば機能しなくなります。生前脳の心しか持たなかった人は死と共に消滅します。これまでは死霊の行く世界が正世界・反世界の狭間に存りましたが既にこの偽空間は消滅しました。死霊自体存在しません。脳で生まれた者は脳で死にます。一回こっきりの人生です。目に見える世界しか信じない者に前世も後世もありません。三途の川すらありません。心の人は肉体の死と共に瞬時に反世界に抜けますから墓など要りません。“脳心”の人は肉体の死と共に存在そのものが消滅しますからこれまた墓など不要です。墓文化、先祖供養の時代は終りました。

パウロは信仰だけが人と神を繋ぐ、と言いました。信仰など脳心がつくり出した虚偽の心です。反世界に通じている者は信仰など不要です。常住坐臥、天と繋がって生活しているからです。南無阿弥陀仏六字の念佛も、南無妙法蓮華経七字の題目も不要です。イスラムの日々五度の礼拝も不要です。たしかに、正世界と反世界の間に偽空間としての天国や極楽や逆に地極やらがあった、これまでの時代で信仰は一定の意味を持っていました。その偽空間の中を通過しなければ反世界に至ることはできなかったのですから。信仰とはその偽空間という闇の中を歩くために必要なものだったのでしょう。だがもはや不要です。

皆さんは脳心に惑わされることなく真の心のみを求めるようにして下さい。真の心は虚闊です。虚空の如く闊いのです。ある禅僧は“仏法の神髄は何ですか”と訊かれ一こと“莫妄想”と答えました。“妄想する莫れ”とも訓めますし“妄想莫し”とも訓めます。妄想とは脳心のことです。

ZX暦四五九四日十三年七月三十日
(旧二○○六年十月十三日)

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